ロードバイクが好きになった中年の日記

中年になってロードバイクに目覚めた記録です。URLは愛嬌です。

2022ツールドおきなわ当日(とても長いです)

140kmマスターズに参加し、落車、パンクなど、トラブルなく無事完走出来ました。開催していただいたこと、道路通行止めでご不便であったにもかかわらず応援していただいたこと、などなど本当にありがとうございました。

1.スタートまで

11月13日 5時すぎ起床。朝食に、バナナ2本、食パン2枚、オートミール多め、コーヒー2杯、そしてウィンゾーン6錠。ボトル2本(950㎖)に、ポカリスェットにパラチノース1本、BCAA少し入れます。補給食としてウィンゾーンジェル5つ、アミノショット2本を用意しました。それぞれ1個ずつ予備のつもりでした。そして、天気予報アプリで雨雲の動きをチェック。徐々に雨が止む時間が早まってました。6時30分にスタート地点の道の駅「ゆいゆい国頭」までウォーミングアップを兼ねて移動開始しました。雨はほぼ止んでいましたが、道路は水たまりが多くあり、靴下の替えとハンドタオルを持っていきましたが、シューズの中も濡れてしまいました。買い物袋でカバーしておけばとも思いましたが、そこまで頭が回らず・・・。移動中、気温も沖縄らしく、風もほとんどなく、海沿いを走り続けます。当日一番心地よい時でした。25km500kcal、頭も動き出し体の調子も悪くないです。緊張もあって心拍は高めでした。

7時30分スタート地点に到着し、靴、グローブを乾かします。ウェアも濡れてます。スタートギリギリまで、裸足で待機です(笑)。有名なチームの強い方々を見て、ため息をつきつつも完走が目標と自分に言い聞かせてました。また、ベテランの先輩お二人とお話しでき、アラフィフとしてロードバイクとの付き合い方に思うところがでてきますが、続けられたのは、ただ一言、”自転車が好き”だということです。そのように言えるようになりたいです。その他にも、スタート時刻が8時30分~9時30分となっている理由(210kmクラス通過後に140kmがスタートするため)や、60歳を超えて210kmに参加され続けた伝説の方のお話を伺うことができました。

2.スタートからレース前半

9時すぎに実業団、その後210kmクラスが通過し、9時15分頃140kmオープンクラスがスタート、そして9時24分いよいよ140kmマスターズクラスがスタートとなりました。パレードラップは数km。なんと、パワーメーター、Di2が認識されておらず、走りながら、センサー類のペアリングをします。参加者が多いので混信してたようです。道幅が狭くなったりすると”右によれー”とか、スピードが緩むと前のほうから”ブレーキ”という掛け声がかかります。ライバルではありますが、こういったことが一緒に走る仲間という感が出てきます。

アクチュアルスタートから間もなく、1回目の普久川の登りが始まります。中盤までついて行けましたが、集団は徐々にペースが上がっていきました。まだ緊張していて、今日は重たいと思ってたらフロントがアウターであわててインナーにしました。集団から千切れてしまいましたが、何とか登り切りしばらく細かなアップダウンが続きます。路面はハーフウェット。こわごわ50km/h未満で下ります。飛ばしている方がどんどん抜いていきます。落車の様子はないので、登りで千切れた方々に声をかけて10人程の集団で一緒に下るようになります。そして、沖縄本島の北端”奥”のあたりで、第2集団に追いつきます。30名ぐらいの集団になり、ここから2回目の普久川の登りまでほぼ平坦で、先頭交代を繰り返し気持ちよく走ります。補給食も予定通り摂れました。

 

3.レース後半

ですが、この平坦で落とし穴がありました。調子に乗って前で引く回数・時間が多くなっていて足を使ってました。2回目の普久川の登りに近づいてきたころには、集団はペースを落としてましたが、それに気づかず前のほうにいて先頭で登りに入ってしまいました。第2集団のクライマーな方が勝負をかけるつもり満々であったことを忘れてました。登り始めてダンシングしたら、両足の前太ももが同時に”つり”ました。シッティングで淡々と回すしかありません。ジェルとアミノショットを補給して、だましだまし回して、”つり”が収まるのを待ちました。第2集団から千切れた第一号でしたが、徐々に千切れた方々と一緒に登っていきます。そして、2人だけになり、水、スポエネ補給地点に入ります。補給してくれる方にイマイチ近づけず、水取り損ねます。そんな時、余分にとってくれ、私に分けてくださいました。気温が上がってきて体に水をかけたかったのと、ボトルは最後まで残しておきたかったのでとても助かりました。その方は、なんとデフリンピックロードバイク日本代表の早瀬憲太郎さんでした。その御礼とばかりに、前方に5人程の集団が見えてきたので、その集団までブリッジしました。耳がご不自由と思うのですが、”ブリッジします”という言葉が届きました。その後もしばらくご一緒し、登りでは先に行っていただいて、千切れかけた私を待ってくれたり、などなど、なぜかお互い励ましあっているのが分かる感覚がありました。

安波・安田の分岐点がちょうど中間地点で後半に入ります。100kmクラスや210kmクラスなど他のクラスで単独/2,3名の集団に声をかけ、集団の人数を増やしていきます。レース後半になって疲れも溜まっているので、学校坂や慶佐次の坂で集団が小さくなっていきます。ところどころで落車があった様子でした。ジェル補給しましたが徐々につらくなります。このあたりでは、下りの怖さなくなるどころかキレはじめて先頭でダウンヒルします。ハンドルにチェックポイントまでの距離と足切り時刻をメモした紙をテープ止めしてましたが、どこか飛んで行ってしまいました・・・。

飛んで行ったチェックポイントの時間と距離の紙

そして、最後のチェックポイント安部を13:20頃に通過します。あと5分でアウトでした。その時は早瀬さんと2人だけとなっていて、無事通過できた喜びを分かち合いました。残り25kmの表示があり、平坦になったので、なぜか踏んでしまいました。これもミスの一つで、羽地ダムの登りに差し掛かった時には、補給食は全部使ってしまい、ゾンビのようにカラカラになってしまい、早瀬さんとはお別れです。ですが、ここまで一緒に走れたこと自体が望外なことでした。

 

3.ゴールでチョンボ・・・

最後の登りを終え、名護市街が見えてきて、走り切った感が出てきます。他のクラスの方と少し話したり、応援している方に手を振ったりなど、やり切った感いっぱいです。そんな中、他のクラスの方が高速ダウンヒルをつづけ、”最後だぞー”とスプリントを煽ってきました。あと3kmほどだったので遊びで追いかけました。が、スピード差がかなりあり残り2kmでやめました。単独で本当にまったりモードで感慨にふけっていました。ところが、同じ140kmマスターズの方が、猛スピードで抜いていきました。さすがにこれはと思い、スプリントをかけて追いかけましたが及びませんでした。普久川の2回目の登りで落ちていった方で、その方に追いつかれるとは全く思ってませんでした。油断とはこういうことです。ゴール後、その方に”負けました・・・”と申し上げました。”足停まっているのが見えたから踏んだ”とのことです。余裕をこいていた自分に情けなさを感じましたが、最後の最後までいい年したオッサン同士で、10歳ぐらいの子供のようにじゃれあうことがあるんだと、楽しいやらなんやら。

順位は47位で、50位までに入ると次回のシート権があるそうです。スタートで前のほうに並べるようです。

また次回も参加したいです。そして最後まで油断せずに走り切ります(笑)。